かつてセクハラキャラ全開だった石橋貴明も標的に……ネットによる過去のバラエティー・芸人叩きの行く末は?【松野大介】
■書き込みの正義感は本物か?
でもオレは、ネットの書き込みはテーマによっては参考になる論旨や知識があるので否定はしない。集団化した批判で政治をいい方向に変える可能性もある。その一方で、集団でのネットリンチになる危険もある。諸刃の剣だ。よくテレビや自身のSNSで「誹謗中傷を書き込むなんて信じられない」と怒るタレントがいるが、匿名で好きに書ける以上はそういう書き込みを内包した装置なわけで、システムやルール(処罰などの法改正含む)を変えない限りはなくならない。だから、その人は悪口を書き込む人を批判しているつもりで本当は匿名で好きに書き込めるシステム自体を批判していることになるのだが、そのことに気づいていない。
今回の件で言えば「当時から石橋のイジリは不快だった」「見ていて傷ついた」「あの笑いはいじめだ。でも言えない空気だった」とか書き込む人がいる。「こういう番組がなくなり、いい世の中になってほしい」というのも見られる。本当に不快だったのか、本当の正義感なのかは確かめようがない。嘘ばかりだと言いたいわけじゃない。匿名の不特定多数である限り、本物である確率は約1割から9割だし、嘘の確率も同じだ(細かく言うと1〜99%)。どちらもゼロか10割とは言えないから、書き込みの真実性は1から9割まで幅の弾力があり、それは記事により変化する。「世の中(またはテレビ業界)をよくしたい」と考える人も、コンプライアンスを大義名分にタレントをブッ叩いきたい人もそれぞれ1割から9割。ちょっとおもしろがって書き込む人も「いいね! が欲しい」という人も「自分の体験と重ねて書き込みたい」という人も、いろんな思惑が入り組んだ人もいる。
ここで2つ言いたい。
オレも80〜90年代のバラエティーが嫌だったよ。やりがいのある番組もあったが、乗り物が苦手なのに遊園地のフリーフォールに「1回だけだから」と言いつつ3回連続で(安全ベルトで括られたまま休憩もなく)乗せられたり、アポ無しで民家に押しかけ、貧しくて腹が減っているふりしてご飯を食べさせてもらえとか。オレは笑いに憧れて芸人になったが「これってコメディじゃないだろう」とガッカリして、仕事が嫌になったこともあって90年代半ばに引退した。(その頃の葛藤は私小説「芸人失格」にある)
ついでに言うと大物タレントやスタッフにゴマすったりの番組の打ち上げや飲み会もイヤで仕方なかったが、すぐに帰ると「仕事なくなるよ」とか今では完全なパワハラを言われてたよ。だから今の時代は良くなっていると思う。
で、オレは引退して作家に転身後か10年間はバラエティーを一切観なくなった。観たら、体を張った仕事がフラッシュバックして苦しいし、「あの女性タレントは辛いけど、耐えてがんばっているんだな」と観ていてわかるのも苦しいわけよ。
一人の視聴者としても、グルメ番組でタレントがでかい口を開けて食っている様子は不快だったし、すぐ裸になる芸人とそれを笑う共演者も不快だし、意外と思われそうだがやたらと人を殴るシーンがあるドラマも苦痛だった。そんな2つの理由から苦しくて、テレビのついているラーメン屋には絶対に入らないようにして、ショッピングモールのテレビ売り場も通らなかった。
そんなオレがはっきり言うと、「出る側・見る側」の二重の傷や不快感を持つオレでも観ないようにして苦しみを克服していったんだから、「見ていて不快」な人も観ない努力をすれば克服できるんじゃないかな。 今更「当時は不快だった」と言うのは後出しジャンケンでしょう。
もう1つは、当時に不快に感じた視聴者が多勢なら番組は打ち切られ、出ていた芸人は不人気になり、違う芸風の人が違う企画で始まっているはずだ。
「ひょうきん族」やドリフのコントや夫婦漫才で頭をひっぱたくのが今の時代と合わないし、作り方の基準が変わるのは当然なんだよ。でも今の人間たちが「アウトだ」と判定するのは、その時代に客席やテレビの前で笑っていた人たちも断罪することでしょ。そんな資格ある? 過去の人達がいて自分たちの時代の生活が築かれていったんだから、過去の人達の否定は今の自分を否定してるんだよ。過去を踏まえて未来を創るのが歴史なわけだから。